MEDIUMとは
新しいをコミュニケーションでデザインする、
知性と感性が交差する創造の起点。
高めあい、磨きあう。創造は共創で加速する。
コミュニケーション・デザイン・ラボ「MEDIUM(メディウム)」は、新しい価値を生み出すために、知性と感性が交わり続ける“創造の交差点”として生まれました。地域で積み重ねてきたつながりと経験を背景に、情報を届けるだけではなく、その先にある「創造の現場そのもの」を地域に開放し、共創が生まれる場を目指しています。かつて印刷工場として閉ざされていた空間を土台に、多様な価値観や技術を持つ人たちが集い、思いがけない偶発と掛け算が生まれる環境を作り上げています。
MEDIUMが大切にしているのは、ただひとつの正解を探すことではありません。問いを立て、踏み出し、試みを重ねる中で新しい視点に出会い、挑戦の証としての小さな失敗を創造の一歩に繋いでいく。その試行錯誤の積み重ねが、地域や人にとって新しい物語を育てていくと信じています。
ここでは、ディスカッションやワークショップ、発表やイベントなど、多様な形で人と人が交わり、思考を深め、想像していなかった偶発的な出会いが生まれます。使い方はひとつにとどまらず、学びと交流、挑戦と発表が混ざり合うことで、思い描いていたことを一歩ずつ形にできる自由さがあります。
メディウム【medium】という言葉の従来の意味にあるように、「媒介・媒体」としての役割を大切にしています。アイデアの種を探し、誰かの知と掛け合わせて、思いがけない化学反応を楽しむ。まるで都市の公園や図書館のように、人々が行き交い、交わりながら刺激を受け、思考を更新していける開かれた場所でありたいと考えています。
視点や価値観が異なる多様な人がここに集い、問いを立て、学び合い、交わる中で、自分だけの答えを探し続け、また次の挑戦へと進んでいく。知性と創造が交差し続けるこの場所には、何度でも試みを繰り返し、新しい景色を見つけ、物語を更新していける可能性が広がっています。
新しいをコミュニケーションでデザインする。
ここは知性と感性が交差する創造の起点。新しい学びの現場として進化し続けます。
Produce:佐々木和之
Direction:安部秀樹、佐藤碧伊
Creative Direction, Statement:酒井裕希(文景社)
スペースについて

印刷工場として閉ざされていた空間を、情報と人を集約し発信する場へと開き直すプロジェクトとして、この場が持つコンテクストを情報・技術・人材の「MEDIUM(=媒体)」として活かしながら、過去から未来へとつなぎ合わせ、モノから体験へと質量を変え、新しい文化を発信する起点としてリノベーションを行いました。
MEDIUMは、市街地・再開発地域・物流拠点地・産業地域と4つの仙台主要エリアをつなぐ中心に位置しており、印刷団地とMEDIUMの内外はグラデーション状に溶け合っていきます。
建物の内と外をまたぐサークルは、MEDIUM「クリエイティブエリア」のコアを成す要素として機能します。ヒトやモノ、コトを自然と引き込み、MEDIUMと印刷団地、MEDIUMと町、行き交う人々や情報を受け止め、つながりを生み出します。
設計:


VIについて

MEDIUMの文字面を抽象化し、それぞれの異なる個性が共鳴し、交わり合い、ときに離れ、ときに重なりながら、ゆるくも群れた形を成していく共創のあり方を示しています。自由に分解・再構成可能なこのデザインは、環境や関係にあわせて絶えず変化・更新していくMEDIUMのありかたを伝えるものでもあり、共創が協奏へと展開し、社会へと実装されていく「起点」としての役割を果たします。
また、建築空間に内在する特徴的な半円形モチーフを取り入れることで、実際に人が集い、交わり、思考を巡らせることのできる「場が存在すること」の確かさを際立たせました。積み木を想起させる素朴な構造は、柔軟な感性を尊重する価値観を帯び、偶発と必然が積み重なりながら、新たな発見を呼び込む「モノ」としての手ざわりを介して、この場の意図をかたちにします。
ロゴタイプはMEDIUMの多様な使われ方に馴染むようプレーンで力強く設計し、カラーリングには建築空間との親和性を考慮したブルーを採用しています。
ヒストリー



MEDIUMの建物は、日本で最初の印刷団地である仙台印刷工業団地のほぼ中心に位置し、1980年、今野平版印刷株式会社(現・株式会社ユーメディア)の印刷工場として建設された建物です。高度経済成長期に拡大する印刷需要を支えるために、オフセット印刷を中心に当時の最新鋭印刷機が導入された革新的な工場として稼働し、宮城・東北エリアを中心にプリントメディアや出版物を支えてきました。2011年の東日本大震災では大きなダメージを受けたものの、その後も復旧して本社印刷工場として機能を果たしてきました。2018年、隣接地に新工場を新築し、生産拠点としての役割は幕を閉じました。